まずは、昭和の時代ですから
看護婦になりたいと思った理由からです。
子どもの頃、注射される場面💉
痛くする人と、痛くない人がいる。
「私は、痛くない注射ができる人になりたい」
たったそれだけでした。
学校では、看護実習で色々な病棟に回ります。
怖かった、記録書くのも🤣😅、
そんな中で、泌尿器科の病棟実習で急性胃炎に。
私は、看護婦に向かないのかなぁ。
何となく無気力になる日々、
あれっ、産婦人科は、楽しい☺️。
今で言う接遇マナーのできる先輩の姿に感動したのです。
回りは、陣痛に耐えている妊婦さんに、怒っている助産婦ばかり。
そんな中、私には、その先輩が、
スポットライトを浴びている
スターに見えました。
漠然と、助産婦になりたいと。
でも、私には無理かなぁ、、、
と思う看護学校卒業前の年末年始。
学生寮の4人部屋。
お正月を自宅で過ごし、戻ってきた学生寮の部屋に、裏返しになったパンフレットが目に入りました。
おやっ?何かな?
表に向けたら、助産婦学校の募集要項だったのです。
私「どうしたの、これ?」
友達「親が受けろって用意してたの」
私「えっ・・・」
急げ〜😆
1月のお正月明けからの受験準備。
看護婦の国家試験勉強の最中。
学校は卒業試験と称して、全科をクリアしなきゃいけない状況。
私が受験したいと思ったのは、
大阪赤十字助産婦学校。
なぜ?
それは、焦って電話をかけた私に、いちばん優しい声で、対応が良かったからという理由です。
その事務の方に逢いたくなりました。
今では信じられないと思いますが、
郵政局がストライキしていました。
受験のための郵送が間に合わないかもしれないと。
私は総合病院に就職が決まっていたので、産婦人科病棟を希望していました。
だけど、そんな都合良く行かないことはわかっていましたから、助産婦の資格は欲しかったですね。
でも2月3日4日と試験日が迫っている中、私は、、
あの時、必死に頑張って落ちたなら、自分に言い訳ができる、、。
それでいいのかも😅。
友達のパンフレットがきっかけだから、悪戦苦闘したけど、意味はあると言い聞かせて。
「落ちていいんだ」
看護学校も進学に対しての協力体制は、全くない状態でした。
とりあえず、受験。
そして、合格発表の日。
今の私がいるのです。
諦めなくてチャレンジして良かったと。
ちなみに、友達は、
バプテスト助産婦学校に合格。
お礼、言ったかな?
ドサクサで忘れていたかも。
あの時はありがとう😊
取り上げたお嬢さん。
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