息子からの手紙

37年前、
第一子を出産した私は25歳でした。

学生時代を寮生活で過ごし、
助産婦として働き始めて3年後

お見合い結婚をして、速やかに妊娠

そして、出産。

いつも職場で、毎日顔を合わす
医師やスタッフの前で
あのポーズをとって、いきむお産をするのかと思うと、恥ずかしくて、
恥ずかしくて、、😅😱😣

せめて、入院時には
「子宮口8センチ〜」
で、バタバタした中で、
あれよあれよと進行する分娩経過に憧れていました😳🌸

41週5日になっても、
陣痛が来ません。
体重は20kg増加した巨体、

スタッフ曰く、
「仕事の休憩時間に、よく食べてたよ」

妊娠初期から、空腹になると気持ち悪くて、何かが胃の中に入っていないと、吐き気と嘔吐に苦しむタイプのつわりでした。
最悪なのは、
その食習慣が妊娠中期になっても続いていたようです。


誰か、止めてよ〜、、😱😳😂


母体も大きい、ベビーも大きい。

増してや過期産💦💦💦💦💦

今なら、
間違いなく
カルテにリスクマークがつけられますね。

昔でよかったのか、どうか、。

毎日、働いている先が
私の出産する施設ですから、
「何かあったら、
やってくれるだろう」
25歳の依存だらけの妊婦でも生きられました。
情報がない時代で、そこの出産施設のことしかわからない25歳の初産婦。

予定日より遅れて2週間、陣痛発来😚🤨😛🤓😜

逢える、会える、やっと赤ちゃんにあえる、
子宮口は?

8センチまでは耐えると理想を掲げていた私は、自分で内診して、、、、あちゃー、指が届きません。そうです、巨体だったことを忘れていました😅💦💦💦

陣痛の様子をみながら、
この辺りで、移動しないと
動けなくなるな、と思うまで耐えました。

そして移動。

入院時の所見は、

3センチ、、、、)(°▽°)

まだだったか😣🤣



子宮口全開まで、
陣痛室で一人 七転八倒😆😂😱😳

何とか凌ぎ
(この時代は、みんなひとりでした)

お決まりのポーズ

必死でいきんでも、
息子は出てきません。

これは、まさに
太った私の産道に、
大きな車がミラーを壊して車体を傷つけながら、道も擦りながら、、通れずに動かない状態です。

私は、意識朦朧となる中、
いつもの遊び仲間の2年先輩が

私のお腹の上にまたがり
巨大なお腹をぐぐぐっと
満身の力で押してくれました。

ようやく生まれた赤ちゃんは、
3800gの男の子でした。

妊娠中は、女の子かな。
と言われていたのですが、
しっかりしたイメージも持っていなかったので、無事に生まれたことにホッとしました。

でも、彼は
ふぎゃ、ふぎゃと2回しか泣けませんでした。

相当苦しかったようです。

母子早期接触をすることもなく
第一沐浴をした後、新生児室へ直行。
残った私は、
母体損傷の程度を確認後
会陰の縫合を、絹糸でガッチリ😜

下半身の痛みに耐える入院生活が始まりました。


産後のトイレ歩行は、
壁がなければ、歩けない25歳

やっとトイレに着いたら

恐怖の和式タイプ(*゚∀゚*)

どんな筋肉を使ったら
スクワットして、どこまで腰を下ろしたら、、和式まで到達できるのか


和式トイレの壁が両サイド近いのが
唯一の救いであり、
心のよりどころでした。


トイレで、脂汗と冷や汗、
尿道口の近くには
絹糸でボンレスハムになった傷口が
自己主張しまくり、、、

こんな現実、想定外でした。

これは、拷問と言えますね。



痛みとの格闘で出産を終えた体は、

産卵を終えた鮭のように、ボロボロ
です。
その上、更なる拷問が続くとは😱

まともに座れないのに、
授乳で呼ばれて、
アヒル歩き、ヨチヨチ、とぼとぼ

👣👣👣👣👣

夜中の病棟の暗い廊下を
時間になると、
アヒル歩きのママが
授乳室に吸い寄せられるように……

強制収容所??????
こわい印象でした。

会陰の傷は、それからもしばしば痛み、1年くらい気になりました。

授乳だって、
やる方も下手くそ
飲む方も下手くそ

増して、彼の黄疸数値は上昇し
光線治療をすることに。

涙が止まりませんでした。

精神不安定です。

順調なことが、ひとつもない💦💦



あれから
37年経ちました。



彼とは、
高校を卒業するまでの18年間、暮らしを共にしましたが、進学と共に一人暮らしを始めました。

借りたアパートは、彼の意向で、
大学最寄駅から、反対口の不便なところを。スポンサーの私からの希望ランクは、月額3万円以内。

和式トイレ、、(*゚∀゚*)
タイルの風呂
裸電球
洗濯機は、玄関外
机も買いませんでした。
彼の世界観がいっぱい詰まったアパートになることでしょう。

「これから、お兄ちゃんのサクセスストーリーが始まるね。楽しみだね」と私。



「男は、外で自由に学べ〜」と、矢を放った感じです。

この時の感覚は、スッキリ爽快!
思い残し、なし。


そんな彼から
2、3年に1度くらい手紙が来ました。

2011年8月 
28歳の彼からの手紙です。

母親にとって、
母体損傷も、
自分の勲章になる時があるとしたら、これかもしれません。

=======一部抜粋========
生んでくれてありがとう、
育ててくれてありがとう。
母さんの子どもに生まれて感謝しています。
僕はちゃんと元気です(笑)

====================


母である私からも

18年間、そばにいてくれてありがとう。
そして、あなたのやりたいことをやり続けてくれてありがとう。

この手紙を書いた
2年後に彼は結婚、
今は3児の父親です。
良きパートナーと出会えたことに感謝します。

現在は、
年に5回ほどのメールと
会うのは、年に1回もないくらい

彼は、私の息子でありながら
お嫁さんへのギフト


末永く、見捨てられることのないよう、夫と父親であり続けることを願うばかりです。








パーソナルトレーナー 助産師 鈴江千鶴子

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